2008年09月23日

朝原のラストランとファーストラン

セイコー・スーパー陸上で、朝原宣治がラストランを10.37秒、日本人一位で競技人生を走り終えた。

オリンピック銅メダルのリレーメンバーの塚原、末続、高平が譲った感じも見受けられたが、引退セレモニーでは声を詰まらせた姿はランナーとは別の顔で、爽やかだった。

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スーパー陸上はTV放映の二時間枠に合わせる為に、フィールドで、走り幅跳び、棒高跳び、走り高跳び、砲丸、ハンマーが同時平行で行われ合間にトラックもあるのでとても忙しい。

棒高跳びの沢野、走り幅跳びの池田は何時もの通りの期待はずれ、ハンマーの室伏は風邪を押して出場して最後の投擲で逆転優勝、などの結果もあまりにも競技が輻輳して訳がわからない。
オリンピックもTVに合わせた競技進行だが、スーパー陸上はその弊も極まっている。

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しかし、この放映時間が過ぎて、朝原の新しい人生の為のファーストランが行われ、主催者の味な計らいが印象的だった。

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陸上競技で、競技場が満員になるのも珍しく、一人の競技者が引退セレモニーをするのも稀有なことで、オリンピック効果とはいえ、朝原の競技者としての生き様に多くの人が共感したのだろう。

新しい人生へのファーストランは、きっとゴールの無いランになるに違いない。

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2008年09月06日

壷の碑

奥州街道の七戸宿と野辺地宿の間の千曳と言う処に、日本中央の碑公園があり、昔から歌枕として名高い、壷の碑に比定される碑が有る。
この石碑は1949年に付近から発見された。

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壷の碑の初見は藤原顕昭の袖中抄(1185〜1189)で、「みちのくの奥につものいしぶみあり、日本のはてといへり。但、田村将軍征夷の時、弓のはずにて、石の面に日本の中央のよしをかきつけたれば、石文といふといへり。信家の侍従の申しは、石面ながさ四五丈計なるに文をゑり付けたり。其所をつぼと云也」
と記されているとか。

これ以来歌枕として名高く、寂蓮、西行、慈円、源頼朝、和泉式部など多くの歌人が詠っている。
近くには坪と石文という地名が残り、坪は当然壷とも記されるので、これが壷の碑とする説には魅力がある。

すぐ傍の、奥州街道の追分道標にも「壷村」の文字が見えるが、あちこち探ってもこの事を記した物が無いのは不思議。

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陸奥のおくゆかしくぞおもほゆる 壷の碑外の浜風(西行)

陸奥の磐手忍はえそ知ぬ 書尽してよ壷のいしぶみ(頼朝)

請ひかば遠からめやは陸奥の 心尽くしの壷のいしぶみ(和泉式部)


坂上田村麻呂は水沢付近までしか来ていないので、田村麻呂の後、蝦夷を追ってきた文屋綿麻呂が刻んだものという説も有る。
日本中央は「ひのもとのまなか」と読み、大和朝廷は倭で、東北は日本と称されていたという事もあり、日本中央の言葉も違和感が無い。

いずれにせよ、明治天皇も執着して千曳神社の境内を掘らせて探したが見つからなかったとも言われる碑の、大らかな「日本中央」の文字を見ると古代史のロマンを感じる。

芭蕉が泪したという多賀城碑も壷の碑として名高いが、発見が江戸時代で早かったことと、伊達家が歌枕として意図的に売り出した事が、千曳の碑よりも有名になった原因のようだ。

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多賀城碑に実際に足を運んだ芭蕉は、
・・・其跡たしかならぬ事のみを、爰に至りて疑なき千歳の記念、今眼前に古人の心を閲す。行脚の一徳、存命の悦び、羈旅の労をわすれて、泪も落るばかり也。・・・
と記している。

もし二つとも見ていたら、一体どのような感慨を持っただろうか。
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西沢立衛の十和田市現代美術館

奥州街道の旅の途中で、西沢立衛の十和田市現代美術館に立ち寄った。
官庁街の真ん中に、オープンなスペースと白いボックスとして適度のボリュームを持ちながら、独立して分散配置された建物は、気持ちの良いリズムを感じさせる。

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内部は、一作品一つずつ割り当てられたキュービックな展示空間を回廊が繋いでいくが、一巡りすると既視感に囚われる。
SANAAとして妹島和世と設計した、金沢21世紀美術館だ。

金沢21世紀美術館の外形を規定する円を外して、内部の展示スペースを動線の周りに任意に再配置すると、トポロジカルに全く同じ平面が現れる。

分散型の構成は、広場と建物が交互に並ぶ官庁街通りの特徴から着想を得ている、とHPでは解説されているが、これは全くのお役所向けの説明で、実際は西沢は、森山邸の群構成を金沢を反転した空間で表現して見せたと言うことだ。

森山邸は住みにくそうだが、美術品は文句を言わないのでコンセプトだけで成り立ち得る。
ヒエラルキーの構成原理を放棄した内外空間は、意外と快適だった。

勿論、常設されているの21人の作品も、ロン・ミュエクのスタンディング・ウーマンや、外部に設置されているチェ・ジョンファのフラワー・ホースなどは理屈ぬきで楽しめる。
この気楽さが開館5ヶ月で入場者10万人という、現代美術館としては驚くような成功を収めているのだろう。

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十和田市は未来へ向けた新しいまちづくりの一環として「Arts Twada」計画に取り組んでいて、この建物もその一環で建てられた。

どの地方都市を訪れても、その疲弊は甚だしいが、その中で未来への視線を失っていない十和田市にエールを送りたい。

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