2008年10月26日

ソクーロフの「ファザー、サン」

アレクサンドル・ソクーロフの「マザー、サン」と対を成す映画。

父から離れられない息子と、亡くなった妻の面影を持つ息子から離れられない父親の、二人のエロチックな関係を暗喩しつつ進行する自立への物語。

蓮實重彦が絶賛している、というほどものでも無い。
父性とか神性とか、ストーリーの解釈であれこれ頭を悩ますのも良いが、それよりもあまり肩肘はらずにセピア色の映像を楽しむ映画だ。

いかにも日本人好みの曖昧さと、不定形の温かさ、そして危うさと安らぎ。

ラストシーンの屋根からの雪の河の景観は美しい。

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しかし、この監督の来年公開される「チェチェンへ アレクサンドラの旅」は見てみたい。

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川崎市民ミュージアムの「濱田庄司展」

川崎に生まれ、最初の人間国宝となった濱田庄司の展覧会が川崎市民ミュージアムで行われている。

時系列に系統だって追ってゆく展示は、手際よくまとめられて小気味が良い。

作品の変遷で、興味深いのはやはり大皿の流し掛け。
一見豪放さの中に、培われた手の技の繊細さが隠れている。
15秒の絵付けに反論して、これは60年と15秒掛かっていると言ったのも尤もだ。

hamada_akaekakubin.jpg  CAP1W4PLCAZQDTNDCA2RL4RPCAN41FVKCAGE4M8QCAA3UYTXCAZH2KKJCAZU629YCABFL0MBCAVFAQ78CAK791ACCAB0BQYMCAL5R2NPCAKJ24P8CAGW0WEJCAMKSXKDCAQJ0A43CAY2P67PCAG90BZICASBWLO5.jpg  青釉黒流描大皿.jpg


晩年は残しておいた楽焼に手を染め、赤楽までは手を染めたものの黒楽まではやり遂せなかったというのも、人間味溢れる。

最後のコーナーに色紙があり、
 昨日在庵
 今日不在
 明日他行

解き方は色々あろうが、学芸員の言う陶芸を求める気持、などと言うもっともらしい解説よりも、仕事をしたくないときの言い訳と取るほうが面白い。

溝口の宗隆寺にはこの碑があり、さらに濱田家の墓もあり、濱田庄司も葬られている。
古びた墓碑に彫られた「久成院妙益陶匠日應大居士」の戒名には、濱田庄司も墓の中で苦笑しているだろう。

20071227濱田庄司碑9s-.jpg  20071227浜田庄司墓s-.jpg


大山街道を歩いた時の記憶が、今結びついた。

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2008年10月18日

藤森照信の秋野不矩美術館

藤森照信は建築探偵団などの洒脱な本で、やや変わった観点から建築の面白さを伝えてくれる。
しかし、少し本流から外れた作品は未だ見たことは無く、漸く浜松まで足を運び、気に掛かっていた秋野不矩美術館を見学した。

秋野不矩の作品は、神奈川美術館葉山館で鑑賞して、その生命力と乾いた豊饒さに驚いた。
本家では、どのような空間で展示されているか。

丘の上にある美術館は敷地への導入部から見上げると、意外な程のボリュームでまるで砦のようだ。
分節化された形態は、アプローチと共に次々と表情を変えてその転調が心地よい。

20081018秋野美術館外観1s-.JPG  20081018秋野美術館外観3s-.jpg


内部の漆喰は10年を経たとは思えないほど、真新しく見え、加えられたスサが程良い柔らかさとアクセントとなっている。

20081018秋野美術館内部1s-.JPG

展示室は思いのほか小ぶりだが、靴を脱いで裸足で歩く”藤ござ”と”白大理石”の床は秀逸だ。

「秋野の作品を見るには絵の汚れのなさと土足は似合わないと考え、この裸足になる美術館を設計しました」と美術館のHPには書かれているが、これはありがちな後付の説明だろう。

近代建築のデザインは殆どが視覚に訴えるものだが、そこに忘れていた感性の触覚を持ち込んだ藤森の狙いは、図星のように当たっている。

20081018秋野美術館展示室s-.JPG


手造りもしくは手造り風、バナキュラーもしくはバナキュラー風のデザインやディテールも癒しを求める現代の潮流に上手くフィットして、無国籍がいかにも土着のものに見えてくる不思議さがある。

秋野不矩が藤森の神長官守矢史料館を見て、インドの民家に似ていることから設計を依頼したという話もあながち嘘ではなさそうだ。

20081018外壁ディテールs-.JPG  20081018秋野美術館水落s-.jpg


しかし、藤森が秋野の大作「渡河」を展示することを意図したメインホール壁面に、新たに長さ12メートル、高さ7メートルの「オリッサの寺院」を描き上げた秋野の膨大な創造力には改めて驚嘆する。
その時秋野不矩90歳。

オリッサの寺院.jpg


見ず知らずの画家と建築家の、不思議な出会いを感じさせる建物だったが、それはきっとインドのすべてを飲み込む褐色の豊潤さがもたらしたものだろう。
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2008年10月07日

「源氏物語の1000年」展と石内都

横浜では、芸術好きには「横浜トリエンナーレ2008」「源氏物語の1000年」展、ビール好きにはオクトーバーフェストなどが行われていて、まさに芸術の秋、食欲の秋。

ビールを横目に、「源氏物語の1000年」展へ。
何故「千年」でなくて「1000年」なのかと、言葉への鈍感さを顕しているタイトルに一縷の不安を持ちつつ。

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多彩な内容とはいえ、圧倒的に画、それも屏風が多い。
物語を熟知している人にとってはどれも垂涎ものなのだろうが、その数の多さが希薄さに繋がり、印象は極度に薄い。

展示替えのため、五島美術館の源氏物語絵巻はなく、国宝の御堂関白記はあまりにもそっけない展示で、藤原道長の中宮彰子に紫式部が仕えていた記述もあったのか無かったのか。

伝藤原行成の倭漢抄も展示期間を終えていた。
雅さ溢れる魅力的な言葉の「留守模様」の典型という「野々宮蒔絵」と、千代姫の「初音蒔絵見台」も展示終了。

せめてもの慰めは、伝紫式部と言われる久海切古今和歌集が見れたこと。
真筆かどうかは別として、千年の時空を越えて時代を想像させるに十分な筆捌きだ。

”生きつづける「源氏物語」”という最後のコーナーで、六条御息所の怨念を描いた上村松園の「焔」の大下図がある。
不安、情念、怨、などが恐ろしいほど画面から立ち上り、どのような雅な源氏絵をも圧倒して展覧会随一の作品と思えた。
これを見て、漸く来た甲斐があったというものだ。

別室でコレクション展が行われていて、3人の写真家が展示されていた。
石内都の30年前のデビュー作「絶唱・横須賀ストーリー」がここで見られるとは思わなかった。
暗さが横溢する写真群で、今の吹っ切れた石内都とは全く違う表情が確認出来て、見ていて損は無い。

絶唱・横須賀ストーリ.jpg

「暗さ」の優れた表現に出会えた横浜美術館だった。
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