藤森照信は建築探偵団などの洒脱な本で、やや変わった観点から建築の面白さを伝えてくれる。
しかし、少し本流から外れた作品は未だ見たことは無く、漸く浜松まで足を運び、気に掛かっていた秋野不矩美術館を見学した。
秋野不矩の作品は、神奈川美術館葉山館で鑑賞して、その生命力と乾いた豊饒さに驚いた。
本家では、どのような空間で展示されているか。
丘の上にある美術館は敷地への導入部から見上げると、意外な程のボリュームでまるで砦のようだ。
分節化された形態は、アプローチと共に次々と表情を変えてその転調が心地よい。

内部の漆喰は10年を経たとは思えないほど、真新しく見え、加えられたスサが程良い柔らかさとアクセントとなっている。

展示室は思いのほか小ぶりだが、靴を脱いで裸足で歩く”藤ござ”と”白大理石”の床は秀逸だ。
「秋野の作品を見るには絵の汚れのなさと土足は似合わないと考え、この裸足になる美術館を設計しました」と美術館のHPには書かれているが、これはありがちな後付の説明だろう。
近代建築のデザインは殆どが視覚に訴えるものだが、そこに忘れていた感性の触覚を持ち込んだ藤森の狙いは、図星のように当たっている。

手造りもしくは手造り風、バナキュラーもしくはバナキュラー風のデザインやディテールも癒しを求める現代の潮流に上手くフィットして、無国籍がいかにも土着のものに見えてくる不思議さがある。
秋野不矩が藤森の神長官守矢史料館を見て、インドの民家に似ていることから設計を依頼したという話もあながち嘘ではなさそうだ。

しかし、藤森が秋野の大作「渡河」を展示することを意図したメインホール壁面に、新たに長さ12メートル、高さ7メートルの「オリッサの寺院」を描き上げた秋野の膨大な創造力には改めて驚嘆する。
その時秋野不矩90歳。

見ず知らずの画家と建築家の、不思議な出会いを感じさせる建物だったが、それはきっとインドのすべてを飲み込む褐色の豊潤さがもたらしたものだろう。