2008年12月28日

「蜷川実花 展─ 地上の花、天上の色 ─」と「ライト・[イン]サイト」展

東京オペラシティで行われている二つの展覧会。
蜷川実花は最終日に行ってみた。

■「蜷川実花 展─ 地上の花、天上の色 ─」
上野と違って、若い女性が列を成す人気で、蜷川美花の初めての集大成だ。
しかし若い女性に人気という前評判を聞いて、ふと感じた悪い予想が的中するような展覧会だった。

過剰に乱舞する色彩と、その奥に何かありそうで実は何も伝えない虚飾に満ちた空虚な写真群はそれが狙いなら、見事に成功している。
しかし、決してそうでは無いだろう。

造花を撮った写真群の部屋を、造花と思わないで美しさに感嘆して人々が通り過ぎる。
造花を「永遠の花」と比喩的なタイトルで、とてもわかりやすく記述するまでが蜷川実花の限界だ。

蜷川−花.jpg  item374p1.jpg

「人」というコーナーでは、華やかな色彩の写真が飾られている。
北野武だけが暗い表情でモノクロで撮られているのが、蜷川実花があしらい切れなかったことを示していて印象的だ。

「floating yesterday」をベースにした「旅」というセクションでは、色彩の豊饒さで隠蔽できない伝えることの少なさが露わになる。

蜷川幸雄の娘という話題性とそれなりの才能を、目ざとい業界が取り込んで人気者に仕立て上げて来た企みは、今のところ成功しているようだ。
だが、彼女の一瞬の美、消費される美、分りやすい美を追い求める創造性は、既に飽和に近づいていて、色彩の乱舞の裏に、美とかけ離れた暗く深く持続するものを込めていくのは至難の技のように思われる。

最後の「ポートレイト」という通路状のコーナーで、何十人ものスター達が、埋め尽くされた花と色の中に精一杯の「可愛いい美しさ」で表現されている。
それは、まるで色彩の葬列のようだった。

同じ花でも、メイプルソープの生と死、エロスとタナトスとを一瞬のうちに語り尽くす映像を思い出す。

img10393874457.gif

メイプルソープと荒木経惟の「 百花乱々」展では、どの花も死の匂いに溢れていた。


■「ライト・[イン]サイト」展
オペラシティのICCで行われている。
こちらは蜷川実花のものとは一転して、光と影だけの物語だ。

入り口ではナムジュン・パイクの、「キャンドルテレビ」が揺らぐ光で迎えてくれる。

candletv.jpg

インゴ・ギュンターの「サンキュウ―インストゥルメント」はヒロシマへのメッセージが込められていると言うが、そんなことよりストロボ放射されて残された自分の影が移ろいながら消滅していく体験に、肉体と、そうでないものの不思議な分離感覚を味わう事が出来る。

thankyouinstrument.jpg


藤本由紀夫の「PRINTED EYE(LIGHT)」は同じストロボを素材として、視覚神経に直接刺激を与え、見えるという事が実体と関係無く成立する事を示し、知覚の危うさと可能性を導き出す。

さらに、エイリアン・プロダクションズの、眼底写真をベースにした体験は自分の脳内を覗き込むようで、ドキリとする。

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展示の最後のヨーゼフ・ボイスの「カプリ・バッテーリー」の小さな比喩的なオブジェクトは、蜷川実花の虚栄と退廃の影をまとった色彩に比べて、健康でシンプルだった。

capribattery.jpg

二つの展覧会を通しのチケットで売れば、同じ光が造り出す世界でも可愛くて、綺麗なもの以外に、別のものが潜んで居るかも知れないと気付く若い女性も多かっただろう。


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2008年12月18日

「石内都展 ひろしま/ヨコスカ」

目黒美術館で開催されている展覧会。

石内都は「絶唱・横須賀ストーリー」でデビューし、「SCARS」などの身体性の表現で独自の領域を確立し、「Mother's」で自分の母親を素材として身体への拘りを保持しつつ、ものへの領域を広げ、フェティッシな表現を際どく美の世界に繋ぎとめた。

絶唱・横須賀ストーリ.jpg  scars.jpg  mothers_39.jpg


今回の、 ”ひろしま”の部分は原爆で被爆した人が身につけていた、衣服、時計などを撮影した作品群だ。
殆どが広島で行われた展覧会の「ひろしま Strings of Time」の作品と重なり合う。

全ての映像の後ろには具体的な個人の死が横たわっているのだが、作品は具体性を捨象して、殆ど抽象的に美しい。

作品は、「横須賀ストーリー」の野比海岸で始まり、最後は吹き抜けを揺らぎ上るワンピースを撮った作品群で終わる。
何段にも掲げられた透き通るワンピースの映像は、まるで天女の薄絹が意思を持って天空に駆け上がるようだ。

hiroshima_71.jpg  目黒美術館.jpg  TKY200806080116.jpg

原爆に対する特別な政治性やイデオロギーからのメッセージを発する事無く、人が突然生きることを断ち切られた悲しみを、”もの”が代わりに語り出し、失われた命は、映像の中に再生される。

全て手持ちで撮影し、展示作品に一切の解説やキャプションをつけていない会場構成も、とても好ましい。

「同級生」という作品群があり、その中に石内都自体の写真もある。
何故か、展示を見てそこに行くと石内自身が、友人に写真の説明をしているのに遭遇した。
写美の「Mother's」でも出くわしたので、二度目も不思議な感慨を持った。

既に女流の大御所だが、石内都が”ひろしま”でさらに飛翔したのは間違いない。
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