2009年01月26日

港ヨコハマ・ノスタルジー

港町への写真散歩。

街灯が並び、寂しいベンチが並び、カモメが並ぶ。

20090126街灯s-.jpg  20090126ベンチs-.jpg  20090126カモメs-.jpg


海の記憶の氷川丸、街の記憶のマリンタワー。

20090126錨s-.jpg  20090126氷川丸s-.jpg  20090126マリンタワーs-.jpg


何処か懐かしいフランスの鋳鉄のフレーム。丘の上では鋭角の円弧が空を切り裂く。

20090126フレームs-.jpg  20080126展望台屋根s-.jpg


ショウウィンドウの異国生まれの色彩を、眺めているのはアメリカ生まれのお人形さん。

20090126元町ショウウィンドウs-.jpg  20090126青い眼の人形s-.jpg

   青い眼をしたお人形は 
   アメリカ生まれのセルロイド
   日本の港に着いたとき
   一杯涙を浮かべてた

港ヨコハマ、今も昔も異国情緒の佇まい。
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2009年01月23日

「文字の力・書のチカラ」展

これは大変に面白い展覧会だった。

書の展覧会と言うと、江戸博の「北京故宮 書の名宝展」のように目玉に蘭亭序を持ってくるようなものや、中世の仮名を中心とした雅さを追うが、広がりに欠けるものなどが多い。
しかし、この展覧会は書家の枠と時代の枠に囚われず楽しませてくれる。

入ってすぐが、平櫛田中の「不老」だ。
  六十 七十は はなたれこぞう
  おとこざかりは 百から 百から
  わしもこれから これから
  辛亥春 百才 倬太郎書

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百歳の時にあと30年分の材料を買い込んだといわれるだけの気概がほとばしる。しかし百歳の書というものを眼にしたのは初めてだ。

一休の上下鏡文字の「心法」、禅語では左右の鏡文字は良く見るが、上下はこれも初めて。
遊び心。

一休・心法.jpg

同じ一休の七佛通戒偈「諸悪莫作衆善奉行」は、ユーモアと無関係の破戒僧の一休が狂雲子の風貌で一気呵成に書き下す。

諸悪莫作s-.jpg


棟方志功の「妙真」も素晴らしい。
骨太の文字は、版画といわず板画で押し通した、棟方志功の野太い精神性が溢れ出している。

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圧巻は開通褒斜道刻石の拓本だ。
大壁面で掲示された古隷の文字群は、そこだけが闇の中から揺らぎ起こるような2000年前の妖しい空気を醸し出している。

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徳川家康の「日課念仏」
71歳の時に戦乱で殺戮した人々の弔いの為に、怪僧天海に勧められて始めたと言われるが、細字で一字乱れず繰り返される「南無阿弥陀仏」は家康の、執着性と不動性が滲み出ている。

arekore_nenbutsu.jpg


その他にも、その名称もいとおしい国宝の古筆手鑑「見努世友(みぬよのとも)」や、伝西行の中務集、思いもかけぬ端正な仙高フ般若心経なども有り、書そのものというよりもそれを通じて見える人の姿に興が尽きない。

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森山大道「銀座/DIGITAL」展

銀座三愛の「RING CUBE」で、行われている三つの意味で異色の森山大道の写真展。

何時も新宿の猥雑さを撮っているが、30年ぶりの銀座が一つ目、二つ目は全てデジタル。三つ目は全てカラー。

森山はリコーのGR1とGR21を愛好しているから、昨年10月にオープンしたリコーのギャラリーで開催されるのも、リコーの要望なのだろう。
そして勿論、銀座を撮ったデジタルはリコーのGR DIGITAL IIとGX 200。

2006年出版の「GR・Digital」ではカラーも出していて、昨年の写美での「ハワイ」で初めてカラーの作品も展示したが、今回は全てカラー、インクジェット、そしてデジタル。

少しづつ小出しにしていたものを、公開スーパーリングにして一寸ジャブを打って見たという感じもする。

円筒状の壁に白黒の写真が背景の中にモンタージュのようにあしらわれたカラー写真は、意外な量の少なさだが、色彩という情報を得たことと引き換えに、モノクロで持っていた削ぎ落とされた強い喚起力を消滅させている。

18_1.jpg  ringcube.jpg


構図や、被写体は何時もの新宿と同じだが、神経を逆なでするような違和感が無く、さらりとした喉越しのよさすら感じてしまう。

森山自体が次のように書いていることで、その意味合いはよく判る。
「・・・やや、馴染みのうすかった銀座で、しかも初のデジタルの写真展・・・・・・楽しく遊ばせてもらいました。」

森山大道もサンパウロへ行ったり、銀座を撮ったり、遊ばせて貰っている筈が、いつの間にか消費という大きな魔物に追い立てられている気配だ。

8階のフロアーから見下ろせる銀座4丁目の交差点の光景は秀逸で、これを見に行くことは意味がある。

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2009年01月10日

「ランドスケープ 柴田敏雄展」の危うさ

この作家は数年前、川崎市民ミュージアムで「木村伊兵衛写真賞の30年」という展示で受賞作家の展示があったときに見た記憶がある位で、纏まって作品を見たのは初めてだ。

展示は経年的でなく、color、night、B&Wの三部構成だが、色調を淡く落としたカラーのものが印象が深い。
だが、その印象が問題だ。

殆どの作品は、自然の中にある人工物を思いも寄らぬ視点で切り取ったものだ。
しかし、「人造物を配することによって時代性を示せるところがいい」などという分かりやすそうな作者の言葉を信じる人は余程のお人好しだろう。

ネットでは、柴田敏雄自身が作品を説明しているが、あまりにも平易で、写真から感じる違和感と人工物の癌細胞のようなグロテスクさが、異化作用を起こし何物かに変異するというところの説明は一切排除されている。

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分かりやすい一連のダムや深夜の高速道路の写真と違って、色彩が加わり、対象が広がった時にそれらを通底するものは、スケール感を意図的に排除して単独では美になりえないモノが、集合しまたは複数が対峙して際どく美に転化する危うさだ。

exib__008.jpg  shibata_03.jpg  exib__010l.jpg  

この作者にとって美しい自然や美しい人工物というものは無いのであって、勿論時代性というものも無い。
多分表に出す言葉に裏腹に、意図的に操作された偏執性が創造の根源で、それは淡い靄の中に潜んで美の装いの下に、凶暴なものを突然目覚めさせる。

それが時々は、本当の美に転移してしてしまう事が恐ろしい。

杉本博司の最新刊は「現な像」だが、ウツツは空(ウツ)を媒介にしているという事は松岡正剛も指摘するところだ。
柴田は逆にウツツを媒介にして、ウツを現前させる。
それは一度 ものを異化する概念操作自体の蜜の味を知った者が、より深い快楽を求めて、いつまでも醜悪と美の稜線を彷徨い続けるようになる事が必定のウツに違いない。
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