2010年09月24日

オノデラユキ 写真の迷宮(ラビリンス)へ

大分前に終了したが、9シリーズ60点の展覧会。

夫々のシリーズに夫々のテーマがあり、写真ではなくてそのテーマ自体を解説する事にも力が割かれている。
写真作品は概念操作の手段として扱われており、写真自体の表現としては単独では自立していない。

勿論、作家の数だけ手法があり、鑑賞者の数だけ、色々な鑑賞方法があるので、「オルフェウスの下方」の様に失踪者のいたホテルから、地球の反対側に突き抜けるのも良い。
「Roma-Roma」のように、二つの同じ名前の都市をステレオカメラで撮影して併置させ、一方はモノクロにルーペを使って手彩色という説明を聞いて納得するのも良い。

手法自体がテーマになることはそれも一つの手法だろうが、一度概念を咀嚼するという行為が必要なものは韜晦的だが、概ね作品は詰らない。

小説の劇中劇と同じで、彼女の語る事の半分はそれ自体がフィクションだろうが、それを信じてみるのも裏の裏を読んでみるのも一つの鑑賞法だろう。

大画面の「12SPEED」の鏡の仕掛けは、陳腐で空回り。
「トランスヴェスト」のフォトモンタージュのように、写真を写真で撮るという事も、色使いを除いてはかなり使い古された手法に思われる。
「アニューラ・エクリプス」のシルクスクリーンを使うのも必然性は無く、表現の新しさだけを求めて隘路に迷い込んでいる。

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展覧会のタイトルの「ラビリンス」は、写真の迷宮でなくて、彼女自身が入り込んでしまった表現の迷宮と得心がいった。

漆黒の闇に浮かぶほのかな灯りの「窓の外を見よ」だけは、余分な説明が不要で評価出来る。

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2010年09月13日

「歩く巨人」と「旅する巨人」

「歩く巨人」というと、誰でも知っている伊能忠敬で、55歳で隠居に入り、70歳で第十三次測量を終えるまでのの15年間、地図作成のために日本全国を縦横無尽に渉猟した。

20090411伊能忠敬像s-.jpg


井上ひさしが小説の「四千万歩の男」で、何故か忠敬の歩幅を「二歩で一間」と計算して、計算も合わないがもっぱら伊能忠敬は4万kmを歩いたという事になってしまっている。

今は歩幅は69センチと分っているらしく、四千万歩でなくて五千万歩いてその距離は3万5千キロという説もある。

とにかく、歩く巨人である事は間違いなく、今年生まれ故郷の佐原にある様々な資料が国宝指定されたのも面目躍如の感がある。

「旅する巨人」の名称は、在野の民俗学者だった宮本常一に付けられている。
宮本は生涯に伊能忠敬の4倍の16万キロを歩いたと言われているが、その根拠はよく分らない。
一日平均40km歩き、延べ調査日数が4000日というのが根拠らしい根拠と言える。

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宮本の庇護者だった渋沢敬三が、「日本列島の白地図に宮本常一の足跡を赤インクで垂らしていったら、日本列島は真っ赤になる」と言ったという話もあまりにも有名だ。

民俗学に取り組み始めたのは20歳を過ぎてからで、73歳で亡くなるまでの50有余年で16万キロという事になるのだろう。

ところで、現代の日本人男性の一日の平均歩数は逐年低下しているがそれでも、7300歩を越えている。平均歩幅は75cmなので年間2000kmも歩いている事になる。
5歳から、70歳まで日常的に歩けると仮定するとその延べ歩行距離は13万キロとなり、伊能忠敬はおろか宮本常一にも引けを取らない。
旅で歩いたかどうかは別として、殆どの人は歩く巨人であるわけだ。

一昔前、岩波文庫創刊六〇周年記念アンケートの「私の三冊」で司馬遼太郎は三冊の本の中の一冊に、宮本常一の「忘れられた日本人」を選んでいる。
司馬遼太郎の43巻に亘る「街道をゆく」は宮本の原案といわれ、二人は宮本の晩年にすれ違っているが不思議な関係だ。

宮本の死後、宮本常一写真・日記集成が発刊された。
生涯に亘って撮影した膨大な10万枚の写真の一部が掲載され、所謂芸術写真では無いが、記録者としての無色透明な貴重な映像を見る事が出来る。
その中には、普通の日本人の真に滋味溢れる表情や、昔は誰もがそうだった、笑いがこぼれた子供たちの映像もある。

別の一枚に、秋田にあるこれも江戸時代の旅する巨人の一人の菅江真澄の墓が写っている。
宮本が詣でた理由は分らないでもない。

20100913宮本常一撮影子供.JPG  20100913菅江真澄墓.JPG


宮本の故郷は周防大島で、大正12年に16歳で大阪に出る時に、父親の善十郎が十か条のメモを取らせたと言われている。
その2は、「村でも町でもあたらしく訪ねていったところは必ず高いところへ登って見よ。そして方向を知り、目立つものを見よ。・・・高いところでよく見ておいたら道にまようことはほとんどない。」
その4が平凡だが、「時間のゆとりがあったら出来るだけ歩いてみることだ。いろいろのことを教えられる。」
特筆すべきはその3で、「金があったら、その土地の名物や料理は食べておくのがよい。その土地の暮らしの高さがわかるものだ。」

なるほど。
16万キロの足跡の原点は、意外と単純な事かも分からない。
伊能忠敬も「歩け、歩け。続ける事の大切さ」と言ったとか。

単純なものこそが、持続的で揺ぎ無い力を発揮する。
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2010年09月03日

束芋の「ててて」展

束芋の「ててて」をギャラリー小柳で見る。

横浜での「断面の世代」を見逃して、朝日新聞の連載小説の「惡人」の挿絵以外は初見だが熱狂的なファンも多いという。

表現方法とか、拘った材料とか、意表をつく立体的な作品や、展覧会名になった、手に毛髪を絡ませた作品など、通底するのは不気味さと腐臭をはなつ病的な偏執性だ。
この作家の作品は目でなく、見る人の生理に絡みつく。しかも大よその人にとっては神経をざらつかせ、ザワザワと鳥肌を立てさせるような生理だ。

束芋ててて2.jpg  束芋ててて.jpg


瞬間的にルイス・ブニュエルとサルバドール・ダリの合作の「アンダルシアの犬」を思い浮かべた。

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束芋の世界は、鋭い剃刀で切り裂かれる眼球や、不気味に掌をうごめく蟻と手を結ぶ。

藤原新也がインドでの衝撃的な死体の写真に「ニンゲンは犬に食われるほど自由だ」と文を添えているが、その言葉を借りれば「束芋の作品は賞賛されるほど自由だ」という事になるだろう。
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