沈砂池及び量水器室は地中埋設されているが、それを見せるための作業か前庭の部分は工事中だ。

濾格機室は、内部は外から窺うだけだが、未整備状態。

メインのポンプ室では平成11年まで稼動しており、10台のポンプとクレーンを見る事が出来る。
これらは、いかにも機械マニアが見たら悦びそうな形態だ。
屋根を支える鉄骨はアーチ状の変形キングポストトラスで、最小の部材で設計しながらも、美的な追求を行いたいという技術者の気持が窺える。


ポンプ室には実際は、せっかくの重要文化財の価値を台無しにする無様な耐震補強がされており、ポンプが居並ぶ壮観さを眺める事は出来ず、単なる耐震装置の展示場のようだ。
この補強は、重文指定後なされたという事で、建物の安全のためとはいえ安易で恥ずべき、最悪の補強方法に思われた。
他に幾らでも耐震・免震の方法はあった筈で、キングポストトラスの設計者の心から今の技術者が如何に隔たり劣化しているかを示す反面教師となっている。


重文などの建築物の現状変更は厳しく制限されており、文化財保護法には以下のように規定されている。
(現状変更等の制限)
第43条 重要文化財に関しその現状を変更し、又はその保存に影響を及ぼす行為をしようとするときは、文化庁長官の許可を受けなければならない。ただし、現状の変更については維持の措置又は非常災害のために必要な応急措置を執る場合、保存に影響を及ぼす行為については影響の軽微である場合は、この限りでない。
勿論この補強は、軽微なものとは到底思えず、法令的な許可を受けて行われたのだろうが、内容を吟味せずに安易に許可してしまったのは、今度は判断力が徹底的に欠如した行政の劣化だ。
これらの施設は、大正11年3月26日に運用を開始した。
翌年の関東大震災にも耐え、太平洋戦争の戦火をも潜り抜けた建物が、重文指定された為に耐震補強で台無しにされたのは現代の悲喜劇としか言いようが無い。
解説書には建物のデザインはセセッションの影響を受けている、とあるが、取り立てて言うほどの事は無い。

それよりも、ポンプ室背面の、今は使われていない砲身のような鋳鉄管が圧倒的な存在感だ。
そう古いものではないようだが、止むを得ずその使命を終えざるを得なかったモノとしての恨みの咆哮が聞こえ、同時にお粗末な現代建築技術を嘲笑ってるかのようだった。

