2011年06月23日

杉本博司とIZU PHOTO MUSEUM

IZU PHOTO MUSEUMは、気恥ずかしい名前のクレマチスの丘という三島を見下ろす富士の裾野にある。

杉本博司が作庭した坪庭が売りの、美術館自体を見に行くのが目的だったが、案に相違して期待は大きく外れた。

多くの人が、杉本博司自身がIZU PHOTO MUSEUMの設計自体に関わっていると誤解しているが、この建物はもともとは「木村圭吾さくら美術館」といい、設計は鹿島建設。
それを写真美術館に改修し、知恵者が杉本のネームバリューに目をつけてオープニングに「杉本博司 ─ 光の自然」をセット。あわせて客寄せに作庭を依頼したのが実態だろう。
建物の内装改修も行われているようだが、特筆するものはなく平凡な構成で杉本の関与は不明。

二つの坪庭、エントランス部分の石組みが杉本の手になるものだが、いつも韜晦的で且つ魅力的な彼の文とは裏腹に、単なる小賢しく愚昧な趣味の世界のものに過ぎない。
杉本は「作庭記」で近くの原分古墳との類似性を述べ、意図的に縄文に近いイメージに誘導し自分の坪庭の意図を補強している。
しかし、原分古墳は7世紀のもので、7世紀には石室とまったく違う既に曲水の宴も催された作庭が行われていた。こちらのほうは杉本の世界ではない。


20110620IZU PHOTO MUSEUM坪庭1s-.jpg  20110620IZU PHOTO MUSEUM坪庭2s-.jpg  20110620IZU PHOTO MUSEUM前庭s-.jpg


オープニングの「光の自然」の前身の「Lightning Field」を以前見たが、これはいつも意表をつく写真表現を切り開くよい意味での杉本だった。

小堀遠州は作庭、茶の湯、華道と自在に才能を発現し、夢窓疎石も書と仏教と作庭と夫々の世界を繋ぎながら驚嘆するものを残している。

フィールドを広げたくなるのは、芸術家の常だが、自分の拠って立つところから踏み出すには血を流して切り結ぶ覚悟が必要で、形として残るものはそれ自体が露に才能を語り、言葉で言いくるめることは不可能だ。
杉本はすっかり大御所になり、崇め奉られていて批判もされないのだろうが、旦那芸はそろそろ止めて、これ以上あまり建築に手をださないほうが身のためだと思われた。

展示は「富士幻景 富士にみる日本人の肖像」が行われていたが、庭の残念な印象が強く、わずかに森山大道の作品が記憶に残る。
posted by 遊戯人 at 18:25| Comment(2) | TrackBack(0) | 見る | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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