2011年09月02日

宇津ノ谷と蔦の細道

宇津ノ谷は東海道の鞠子宿と岡部宿の間にあり、交通の要衝から取り残され今も鄙びた佇まいを見せている。
以前東海道を歩いた時に、宇津ノ谷峠を越え、平行して走る平安時代の古道の蔦の細道が気掛かりだったが、先を急いで辿ることが出来なかった。

この細道を辿るため、宇津ノ谷を10年ぶりに訪れた。

宇津ノ谷集落は道路が整備され、少し様変わりしていたが、もと立場茶屋だった有名な御羽織屋の上品なおばあさんは、90歳になったと言うがまだ健在で、秀吉とのいわれを昔と変わらず語ってくれた。
この集落の時間は、どこか優しく、ゆったりと流れているようだった。

20110809宇津ノ谷集落s-.jpg


この谷あいには明治、大正、昭和、平成の夫々時代を映す4つのトンネルがあり、明治のトンネルは日本初の有料トンネルとしても有名で登録有形文化財にもなっている。
レンガ造りのトンネルには、ひんやりとした明治の風が吹き抜ける。

20110809明治のトンネルs-.jpg


旧東海道で峠を越えて、岡部宿側に出ると 木和田川沿いに蔦の細道公園があり、兜堰堤と言われる明治時代の小規模なロックフィルダムが復元されたものを見ることが出来る。

公園が尽きると蔦の細道への入り口がある。

20110809蔦の細道1s-.jpg


蔦の細道は平安時代からの主要道だったが、秀吉の小田原攻めの時に東海道の経路が作られて廃れたと言われている。
しかしそこには業平の東下りの歌に惹かれて、多くの歌人、旅人が訪れている。

  駿河なるうつの山べのうつつにも 夢にも人に逢わぬなりけり (伊勢物語:在原業平)

  我がこゝろうつゝともなしうつの山 夢にも遠きむかしこふとて (十六夜日記:阿仏尼)

  ひと夜ねしかやの松尾の跡もなし 夢かうつつか宇津の山ごえ (兼好法師)                                                             
歌もさることながら、この道を描いた伝俵屋宗達の「蔦の細道図屏風」の夢でありうつつでもある完全な抽象性に満ちた美しさには驚く他は無い。
風景が歌を作り、歌が、絵を生成し、絵が再び人の心に風景を植え付ける。

  わが入らむとする道は、いと暗う細きに、蔦かへでは茂り、もの心細く・・・

六曲一双の屏風は、左隻の左端と、右隻の右端が繋がるように描かれており、いと暗う細き蔦の細道は目の前で無限に循環する。
蔦の葉に見立てた烏丸光広の流麗な散し書きの賛の一つには、「茂りてぞ むかしの跡も 残りける たとらはたとれ 蔦のほそ道」と書かれている。

蔦の細道.jpg 


現代の蔦の細道は、昔からのものが判り易い姿で残存していてそれが陽の目を見たわけではない。
昭和40年台に小学校教諭だった春田鉄雄氏が、わずかに残る手掛りから荒れ放題の山を、住民の方々と大変な苦労して復元整備した。

 20110809蔦の細道2s-.jpg  20110809蔦の細道3s-.jpg


一つの風景は、完全無欠の美の姿で永劫に残る作品を導き出し、その風景は長い時代を経て現代の道の復元に繋がっている。
蔦の細道に関わった人々が残そうとしたものは、幾重にも重層し、沈み込んでは浮き上がり、想いは蔦の細道図屏風のように巡りめぐって浮遊する。

道を辿って、明るい現代に辿り着いた時、古からの一吹きの風が耳元を通り過ぎた。

  たとらはたとれ 蔦のほそ道
posted by 遊戯人 at 21:30| Comment(0) | TrackBack(0) | | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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