2009年07月25日

北の鎌倉の文人達

大正時代、北の鎌倉といわれた我孫子の手賀沼に白樺派を中心とした文人たちが集い、文化村が形成された。

講道館柔道の創始者の嘉納治五郎がまず別荘を構え、甥の民芸の柳宗悦を誘い、白樺派の論客でもあった宗悦が志賀直哉をさそった。
さらに武者小路実篤とバーナード・リーチも、手賀沼に越してきた。

彼らの手賀沼時代は数年から七、八年だが、志賀直哉の暗夜行路を始め多くの作品が、この手賀沼のほとりで生み出されることになる。

手賀沼のほとりから魅力的な天神坂を上ると、柳宗悦が住んでいた三樹荘と、嘉納治五郎の別荘の跡地がある。
三樹荘の建物は今も健在で、主は変わり、歌人で郷土史家の村山祥峰氏が住まわれているが、昔は足元まで湖が広がっていたという高台から見る光景は、大正の文人達には一つの桃源郷だった。

20090625天神坂s-.jpg  20090725三樹荘s-.jpg  


近くには、志賀直哉邸の一部だった茶室が保存されている。
少し陰鬱さが感じられる、敷地は暗夜行路の執筆に相応しかったのだろうか。

20090725志賀直哉茶室s-.jpg


また、白樺文学館がすぐ傍に開設されている。
小ぶりな建物にオラクルの社長だった佐野氏が収集した文人達の様々な作品が展示されている。
特にあまり見る事の出来ない彼らの書や、自筆原稿が興を惹き、地元に密着した文学館として着実に運営されているように見受けられた。

20090725白樺文学館外観s-.jpg  20090725白樺文学館内観s-.jpg


手賀沼のほとりに、大正の文人達の集まり散じていく気配を感じながら、湖の風に吹かれると、時代をタイムスリップしたような不思議な感覚が湧き上がった。

20090725手賀沼s-.jpg


posted by 遊戯人 at 23:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 見る | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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