鋸山山頂からは、対岸の三浦半島が指呼の間。
東京湾口の一番狭まった所を、行き交う船も春めいている。

日本寺はいわくありげな寺だ。
聖武天皇の勅詔を受けて、行基が1300年前に開いた関東では最古の勅願所だが、何故国号の日本という名前を与えたのか。
当初法相宗に属し次いで天台、真言宗を経て曹洞宗と宗派も変転、円仁も入寺した。
世界救世教の岡田教祖が境内の十州一覧台で天啓を受けたとされ、聖跡と定めその碑が設立されている。
そのため、日本で二番目に長いという参道の階段は、世界救世教の寄進によるという、立派な御影石が敷き詰められている。
バーミヤンもかくやと思われる、採石場の跡に刻まれた百尺観音。
大戦の犠牲者の供養と交通犠牲者供養のためというが、誰が発願したものか。

千五百羅漢は廃仏毀釈の折にかなり毀損されたが、それだけが原因ではないともいう。
いずれにせよ、江戸時代に二十一年間かけて作られた羅漢達は、今もその味わい深い豊かな表情を見せ続けている。
百体観音もたおやかだ。



昭和44年再興された日本一大きいという大仏は、かなりいかつい感がする。

本堂は昭和14年の失火で焼失し跡形も無く、ようやく新本堂の敷地の整備が始まっていた。
行基椎の前の早い梅の花を見て、疑問符山積みの乾坤山日本寺をあとにする。

足を伸ばした江月の水仙ロードは、こちらは負けずと早咲きの桜が咲いている。
江戸の早春も彩ったという水仙は、まだまだ盛で陽だまりの中ほのかな香りを運んでいた。
春は直ぐそこだ。


