2010年03月22日

東京大学総合研究博物館の「命の認識」展

東京大学総合研究博物館で行われている「命の認識」。

遺体科学の教授で、年何百体もの動物をひたすら解剖する遠藤秀紀の総指揮で会場が構成されている。

遠藤は、かなり気負って次のように語り始める。
・・・あなたを苦悩のどん底に陥れる空間を東大の博物館に創ってみたいと思っていた。「命の認識」は、博物館を快楽やサービス提供の場などと称した昨今の悪しき意思を根本から破壊して、そこに個人が命を認識するまでの根源的苦悩の場を広げることを、私が試みたものである。・・・

導入部に晒された骨ではなく、遠藤が「死の誕生」と呼ぶアジア象の死産胎児、キリンの死産胎児の体幹が出迎える。
遠藤は、アジア象についてこう述べる。
・・このゾウを見て、 神秘でも、畏怖でも、謎でも、ときには嫌悪でも、多くの人に命を源泉とした特異な感覚が生まれるならば、この命展はひとつの出発点を獲得したといえるのである・・・

20100322ゾウ胎児s-.jpg 20100322キリン胎児s-.jpg


学術的な意味合いをまったく捨象して、一室に分け隔てなく大きな一枚のテーブルに整然と並べられた夥しい骨は語らないことで命を語る。

20100322ミンク鯨s-.jpg 20100322骨1s-.jpg

20100322タヌキ?s-.jpg 20100322イノシシ?s-.jpg


商業主義的な博物館展示への強いアンチテーゼから、展示には一切のキャプションがなく、皮肉たっぷりに「日本人的な勤勉さに対する、わずかばかりの添えもの」とされたリーフレットがあるだけだ。

写真家の石内都が「ひろしま/ヨコスカ」で、やはり一切の説明を排除したことを思い出す。


隣の会場では、キュラトリアル・グラフティ展が行われており、動物でない、人にかかわる考古学的なものをキュラトリアルワークとして展示している
展覧会を企画開催することはcurateだが、標本の保全と活用もcurateということを知る。

考古学としての、人の頭蓋骨も正にキュラトリアルワークの成果として展示されており『古人骨頭骨「名品」展示』とあった。名品だ。

動物も縄文人も、命を認識するまでの根源的苦悩の場を広げる、というよりも一種の秘やかな快楽に繋がっているように感じられた。

中原中也の「骨」
 ホラホラ、これが僕の骨だ、
 生きてゐた時の苦労にみちた
 あのけがらはしい肉を破つて、
 しらじらと雨に洗はれ
 ヌックと出た、骨の尖。
posted by 遊戯人 at 23:00| Comment(2) | TrackBack(1) | 観る | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
こんばんは。

コメントありがとうございます。
楽しんで参りました。「苦悩の部屋」

写真撮影出来たとは知りませんでした。
Posted by Tak at 2010年03月26日 23:27
TaKさん
いつもBlog楽しませて頂いています。

写真撮影は、博物館入口に禁止の標識がでていたので、案内が少し誤解を与えますね。

私も禁止と思って、見終わった後にキュレーターの人に、学術的なものなのに何故禁止なのかと質問したところ、禁止ではありませんと言う答えをもらったので撮影出来ました。

でも多くの人は、質問もせずに何の疑問も無く撮影していましたよ。
Posted by 遊戯人 at 2010年03月27日 11:36
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「命の認識」展
Excerpt: 東京大学総合研究博物館で開催中の 「命の認識」展に行って来ました。 上野国立博物館で開催中の「大哺乳類展」と対極に位置する展覧会。東大博物館サイト内に掲げられた「命の認識」展総指揮・監..
Weblog: 弐代目・青い日記帳 
Tracked: 2010-03-26 23:34
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