2011年03月06日

戦艦三笠

戦艦三笠を横須賀に見に行った。

20110201戦艦三笠s-.jpg  20110201z旗s-.jpg


言わずと知れた日露戦争のバルチック艦隊との日本海海戦での旗艦で、この海戦での秋山真之の七段構えの作戦や、東郷平八郎の敵前大回頭など逸話に事欠かない。

迂闊な事に行って見て初めて、三笠は水に浮かんだ船ではなくて陸上に固定されている事を知った。
日本海海戦後は佐世保港内で爆破沈没、ワシントン条約で廃艦が決定。
さらに関東大震災での大浸水をへて、その後の保存運動の高まりで保存が決定したのは大正14年で、てっきり、太平洋戦争後の連合軍が意趣返しに固定化したものと思っていたが、下甲板に土砂やコンクリートを注入し二度と海に浮かぶ事の無い記念碑としたのは日本政府だった。

太平洋戦終戦は上部構造物は取り払われ、アメリカ軍のダンスホールや水族館が設置され、さらに金属部分は盗難にあい無残な様子だったという。
その後、国民的な復元運動が起こり、昭和36年に復元された。

従って、今の上甲板の構造物の威容は全てレプリカで、厚さ35cmを越える無垢の鋼板で守られていた司令塔も叩くと、板金細工ペコペコというむなしい音がする。

艦内は展示スペースとなっていて部分的に船室などが再現されており、展示スペースでは、東郷平八郎、乃木希典、秋山真之、広瀬武夫などの日露戦争ゆかりの人々の資料を見ることが出来る。

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館内の復元された施設や、日露戦争の説明パネルよりも、一番目を引いたのは関係した軍人の書だ。

たまたま、「日露戦争に見る武士道」という特別展が行なわれていて、書を含めて乃木希典の資料もかなりあった。
乃木希典は司馬遼太郎の作品では旅順攻略でいたずらに兵を死なせた無能極まる将とされているが、一方ではその風貌と明治天皇への殉死により神格化もされていて、実像は分からない。
司馬が唯一讃えているのは、詩人としては一級の才能に恵まれていたという事だ。

常設部分に東郷の書や秋山、広瀬の書簡、メモが展示されていた。
東郷の書は日露戦争開戦の有名な「皇國興廢在此一戦 各員一層奮勵努力」が揮毫されていた。
この書を晩年にいたるまであちこちに残しているようだが、どのような思いで書いたのか。

司馬が褒めた、自詩を揮毫した乃木の書は王羲之の行書風だ。
広瀬の書簡はいかにも、朴訥な字で、危険を顧みず部下の生命を案じて被弾して戦死したと言う人柄がにじみ出る。

20110201東郷書s-.jpg  20110201乃木書s-.jpg  20110201広瀬書s-.jpg


この三人はいずれも軍神となったが、その死に様を考えると複雑な感情が沸き起こる。
一万五千トンの巨体が記念艦として残り続ける期間と、三軍神の書が残り続ける期間とどちらが長いか。
抽象化された軍神はその裏にある、残酷な血まみれの記憶も白い晒された骨のようになり、希薄化し、危うく美しいもののよう見えてしまう事になる。

それは三笠の姿が、厳密に最高度の機能性だけを求めて構成されているが故に、殺戮の機械でもあるにもかかわらず、人々を感動させるに足る美しさを持ってしまっているのと同じ事かもしれない。

20110201 30cm主砲s-.jpg  20110201操舵室s-.jpg  20110201 8cm砲s-.jpg


三軍神が稀にしか思い出されない今の世の中は、多分良い時代なのだろう。
NHKで放映された司馬遼太郎の「坂の上の雲」効果で、三笠の見学者は年15万人に増えているという。

見学を終えた15万人は、何を胸に残して船を下りるのか。
それは、二度と水に浮かぶことのない三笠のあずかり知らぬところだろう。
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2011年02月17日

中平卓馬写真展「Documentary」

BLDギャラリーで行なわれている中平卓馬の写真展。

2003年に横浜で行なわれた「原点回帰」以来、久しぶりに彼の作品を見た。
動物、浮浪者、ありふれた風景など158点の均質化された、全て縦位置のプリントが並ぶ。

山羊.jpg  浮浪者.jpg  AKA .jpg


「原点回帰」以来の8年間は回帰した地点から一歩も踏み出さず、ひたすら撮るという行為自体を言葉の代わりに紡ぎだしてきた事が明白だ。
何かを表現するために撮るのではなく、撮影するという行為自体が表現になったと言う稀有な例かもしれない。

縦位置の写真は、明らかに平衡感覚の失調を顕して、多くの作品が左に傾いでいた。
鮮明な色彩と裏腹に作品は何も語らずに、浮遊する無意味さだけを拡散させる。

PROVOKEのかっての仲間の森山大道や高梨豊と比べる事は不可能だが、森山が「ドキュメンタリー」の写真集の帯に書いていた事が、全てを物語るようだった。

 「ったく、中平卓馬はいいところへ行ったよな。俺は口惜しい!」

その言葉の通り、中平の意識は現世の地平の彼方に漂っている。
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2011年01月13日

伊東忠太の中山法華経寺聖教殿

これも佐倉・成田街道を歩いていた時に遭遇。

市川市中山にある、日蓮宗大本山の中山法華経寺の奥まった場所にある聖教殿。設計は伊東忠太。
内部には、日蓮自筆の立正安国論などが納められているという。
昭和6年(1931)竣工。

20101229聖教殿s-.jpg  20101229聖教殿彫刻s-.jpg  20101129聖教殿狛犬s-.jpg

おなじみの怪獣、聖獣、インドの仏塔形式と魑魅魍魎の世界までは行かないが伊東ワールドだ。
築地本願寺の意匠と比べると大人しいが、それでも予想外の場所で突然遭遇すると、かなり驚かされる。

これも街道歩きのご利益だろう。
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2011年01月12日

黒川紀章の佐倉市庁舎

佐倉・成田街道で、佐倉市内の海隣寺坂を歩いていると高台に記憶にある建物が現れた。
1971年に竣工した黒川記章設計の佐倉市庁舎だ。
すでに立替決議が行われている、中銀カプセルタワーよりも竣工は一年早い。

低層部はワッフルスラブだが、高層部はボイドスラブとなっており、構造をそのまま表している外観も、一世を風靡したメタボリズムの時代の作品らしい。
いかにもユニット化されているような外観だが、内部は外観と異なり大部屋だ。
しかしデザインに対する思想を直裁に表そうとした、昔の良き時代が微笑ましい。

20110104佐倉市庁舎外観s-.jpg  20110104佐倉市庁舎外観2s-.jpg  


事務棟に隣接して45度振って議会棟が接続している。
これもこの頃流行ったHPシェルで、内部はまだあまり古さを感じさせない。
外観は明らかに、サーリネンのJFK空港のTWAターミナルへのオマージュが看て取れる。しかしこの議会棟は記憶になかったので、黒川の当時のデザインの揺れを表しているようで印象深い。

20110104佐倉市庁舎議会棟屋根s-.jpg  20110104佐倉市庁舎議会棟s-.jpg  20110104佐倉市庁舎議会棟内部s-.jpg


職員の方に伺うと事務棟はあまり大きなトラブルもなく使われているようで、なんとなくほっとする話だ。
エントランスホールの天井に市章があしらわれている。
鐶を、花びらに見立てて、桜の花を形どったもので、佐倉だから桜にこじつけるのもそれはそれでよい。

20110104佐倉市庁舎エントランスホールs-.jpg

黒川紀章も既に没して、三年が過ぎた。
市役所の受付の方が、この建物の設計者の名前を間違いなく口にしてくれたのは墓の中の黒川も悦んでいる事だろう。

建築に若い主義主張があり、未来は開けていた時代を懐かしんで建物を去った。
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2011年01月10日

博物館に初もうで

東京国立博物館がリニューアルオープン記念で、今月の16日まで特別公開を行なっている。

普段は特別展でしか見れない国宝が大判振る舞いで展示され、干支の卯にちなんだ縁起物も多い。
街道歩きの初詣の次には、お正月らしく、選りすぐりの名品を見に博物館に初詣に出かけて見た。

まず、艶やかな活花が迎えてくれる。

20110106東博s-.jpg   20110106活花s-.jpg 


光琳の風神雷神図も、意外と人が少なくじっくりと見ることが出来る。
隣にはさりげなく、若冲の松梅群鶏図屏風。

20110106風神雷神図s-.jpg   20110106風神雷神図1s-.jpg   20110106風神雷神図2s-.jpg   

20110106松梅群鶏図屏風s-.jpg


干支にちなんだ、美品も多数。

20110106染付双兎図大皿s-.jpg  20110106兔水滴s-.jpg

   
富嶽三十六景の山下白雨も良く、おなじみの光悦の舟橋蒔絵硯箱も静かな存在感を発現している。

20110106富嶽三十六景山下白雨s-.jpg  20110106舟橋蒔絵硯箱s-.jpg  


特集陳列で「香りをたのしむ−香道具−」という企画がされていて、香道に携わる人には見逃せない。
蒔絵の細工物もさることながら、さりげない銀葉や伏籠の単純で清明な美しさに心が惹かれる。

20110106銀葉s-.jpg  20110106伏籠s-.jpg    


書の名品も数多く出展されている。
一休宗純や隠元のものは、説話でイメージされている人物像と全く異なり面妖であり、剛毅であり鮮烈だ。

20110106一休書s-.jpg  20110106沢庵書s-.jpg

圧巻は、国宝の古今和歌集元永本。金銀砂子の料紙は800年を経ても輝きを失わず、藤原定実の手といわれる散らし書きは流麗の極み。

20110106古今和歌集元永本s-.jpg   20110106古今和歌集部分s-.jpg  

開いている頁には、春歌上の三首が看て取れる。

 雪のうちに春はきにけり 鶯のこほれる涙いまやとくらん
 梅が枝に きゐるうぐひす 春かけて 鳴けども今だ 雪はふりつゝ
 春たてば花とや見らむ 白雪のかゝれる枝にうぐひすの鳴く

間の季節と間の心、春なのか、はまたま冬か、と気配も心も揺れ動く。
しかし春はすぐそこだと思いつつ、夕暮れの博物館を後にする。

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2010年12月04日

国会議事堂特別参観

議会開設120周年記念で、12月4,5日国会議事堂の特別参観が行なわれ、衆参同時に見れる貴重な機会なので、足を運んだ。
そこには様々な不思議が横溢していた。

国会議事堂の建設に当たっては日本で最初の設計コンペが行なわれて、宮内省技手の渡辺福三の案が一等になり、その後、それを元に多くの人が関わって、今の姿になったとも、吉武東里が実質的に設計したともいわれている。国のこのような建物の設計者が曖昧なのもかなり不思議だ。
施工者に至っては、僅か70年前の竣工にもかかわらず、信じられない事だが、不詳ということになっている。これは秘密保持とも言われるが実態は不明だ。

tousen01s.jpg  20101204議事堂外観1s-.jpg  20101204議事堂外観2s-.jpg


議場や、大臣室はTVでもおなじみだが、議長応接室や建設費の1/10が費やされたという豪華絢爛な天皇御休所などは普段はお目に掛かれないものを見ることが出来る。
天皇御休所の折上格天井には鳳凰があしらわれ、天子南面に従い天皇の席は真南を向いている。
通常参観の時は天皇御休所は写真撮影絶対禁止らしいが、何を今更と、不思議。

20101204議場s-.jpg  20101204大臣室s-.jpg  20101204御休所s-.jpg  20101204御休所天井s-.jpg


不思議で気になるデザインも横溢している。
玄関ホールの吹き抜けには北澤ステンドグラスが製作したステンドグラス。この議事堂で繰り返し現われるモチーフだが何のシンボルだろうか。
外壁の主要な場所、天皇御休所、さらには中庭の噴水にも何か不明な場所にも。

20101204ステンドグラスs-.jpg  20101204外装意匠s-.jpg  20101204御休所入り口s-.jpg  20101204中庭噴水s-.jpg


議場の上部が、日本で一番大きいと言われる見事なステンドグラスのトップライトとになっている事も驚きだ。
議事堂は威信をかけて、殆ど全てのものを国産でまかなったが、このトップライトとドアノブ、そして何故か郵便受けが国産でまかなえなかったと。

20101204議場ステンドグラスs-.jpg


国会議事堂の地下には、秘密の地下通路があるとも言われ、秘密の地下鉄駅の話も流布されている。
つい先日菅首相が首相官邸と公邸が地下で繋がっていることを口を滑らせた程なので、ありそうな話ではある。

国会議事堂は去年、一昨年と全面的に外装の洗浄が行なわれて見違えるように真新しくなったが、12月3日日閉幕した臨時国会は、無残な程の政治の劣化を見せ付けた。
国会議事堂には色々な不思議があるが、この劣化を政治家が恬として恥じないことが、最大の不思議だった。

外ではお土産が売られていて、日本再起と書かれた「ねじれ国会おこし」が秀逸だった。

20101204ねじれ国会おこしs-.jpg


今年ブームだった坂本龍馬は、「日本を今一度、洗濯いたし申し候」と言ったが、建物だけでなく、政治家の心根も是非洗濯してもらいたいと思いつつ議事堂をあとにした。
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2010年11月03日

旧三河島汚水処分場喞筒場の悲喜劇

平成19年、下水道分野の遺構では初めて重要文化財に指定された三河島汚水処分場が、東京都文化財ウィークで公開されていたので見学に。

沈砂池及び量水器室は地中埋設されているが、それを見せるための作業か前庭の部分は工事中だ。

20101104汚水処分場外観s-.jpg


濾格機室は、内部は外から窺うだけだが、未整備状態。

20101104ろ格機室s-.jpg


メインのポンプ室では平成11年まで稼動しており、10台のポンプとクレーンを見る事が出来る。
これらは、いかにも機械マニアが見たら悦びそうな形態だ。

屋根を支える鉄骨はアーチ状の変形キングポストトラスで、最小の部材で設計しながらも、美的な追求を行いたいという技術者の気持が窺える。

20101104ポンプs-.jpg  20101104pポンプ室梁s-.jpg


ポンプ室には実際は、せっかくの重要文化財の価値を台無しにする無様な耐震補強がされており、ポンプが居並ぶ壮観さを眺める事は出来ず、単なる耐震装置の展示場のようだ。
この補強は、重文指定後なされたという事で、建物の安全のためとはいえ安易で恥ずべき、最悪の補強方法に思われた。
他に幾らでも耐震・免震の方法はあった筈で、キングポストトラスの設計者の心から今の技術者が如何に隔たり劣化しているかを示す反面教師となっている。

20101104耐震装置s-.jpg  20101104耐震装置2s-.jpg


重文などの建築物の現状変更は厳しく制限されており、文化財保護法には以下のように規定されている。

(現状変更等の制限)
第43条 重要文化財に関しその現状を変更し、又はその保存に影響を及ぼす行為をしようとするときは、文化庁長官の許可を受けなければならない。ただし、現状の変更については維持の措置又は非常災害のために必要な応急措置を執る場合、保存に影響を及ぼす行為については影響の軽微である場合は、この限りでない。

勿論この補強は、軽微なものとは到底思えず、法令的な許可を受けて行われたのだろうが、内容を吟味せずに安易に許可してしまったのは、今度は判断力が徹底的に欠如した行政の劣化だ。

これらの施設は、大正11年3月26日に運用を開始した。
翌年の関東大震災にも耐え、太平洋戦争の戦火をも潜り抜けた建物が、重文指定された為に耐震補強で台無しにされたのは現代の悲喜劇としか言いようが無い。

解説書には建物のデザインはセセッションの影響を受けている、とあるが、取り立てて言うほどの事は無い。

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それよりも、ポンプ室背面の、今は使われていない砲身のような鋳鉄管が圧倒的な存在感だ。
そう古いものではないようだが、止むを得ずその使命を終えざるを得なかったモノとしての恨みの咆哮が聞こえ、同時にお粗末な現代建築技術を嘲笑ってるかのようだった。

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2010年10月19日

村野藤吾の旧千代田生命本社ビル

村野藤吾設計の旧千代田生命本社ビルは1966年竣工年竣工し、千代田生命の破綻をへて2003年に目黒区総合庁舎に生まれ変わった。

東急東横線の車窓からも見えるアルキャスト縦のルーバーが美しく微妙な陰影を奏でる建物を、今頃になって見学した。

池に面して休憩室があり、隣の和室の「しじゅうからの間」が誰でも使えるスペースとして公開されている。
40年を過ぎた適度な古びだが、網代をあしらった光天井や、モンドリアン風の障子の洒脱なデザインはそのままで眼を楽しませる。
他にも二つの和室と茶室があり、区民が誰でも使えるのは贅沢な事だ。

20101019千代田生命外観s-.jpg  20101019しじゅうからの間s-.jpg


吹抜けにある螺旋階段は、最初の踏み込みが浮き上がり、微妙な曲線を繋いでいく扱いは正に階段の名手の村野藤吾の面目躍如。
しかし、この階段は改修時に安全の為に余分な手摺が着け加えられ、不要とも思われるアクリルパネルで囲われて、プロポーションと軽快さを大きく損なってしまい、かなり残念だ。

20101019階段s-.jpg  20101019階段2s-.jpg  20101019階段3s-.jpg


正規のエントランスのアルミのキャノピーを抜けると、ビアンコ・カラーラの純白の大理石に囲まれた床と壁の空間が迎えてくれる。
目線を切った腰窓から反照する光と、細やかなモザイクタイルのトップライトから落ちる光は心を安らげる。

20101019キャノピーs-.jpg  20101019ホールs-.jpg  20101019トップライト2s-.jpg


アクリルの照明器具も、灯りを入れた時はさぞやと思われる。

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屋上は区によって緑化されており、十五のメッセージと村野藤吾とをもじって目黒十五庭と名付けられている。
村野藤吾は、その出来栄えに苦笑しているかもしれない。

20101019屋上庭園s-.jpg


村野の建物も、次々解体されている。
関西の新歌舞伎座、そごう、関東の早稲田大学文学部、松寿荘その他数え上げれば限が無い。

その中で、稀な変転をして生き残ったこの旧千代田生命本社ビルは何時までも区民に愛されると共に、村野建築の粋と繊細さを示し続けてもらいたい。

20101019千代田生命外観2s-.jpg  20101019千代田生命外観3s-.jpg
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2010年10月16日

利根川遡行

銚子から、渋川まで時々切れ切れだが、利根川に200km以上の距離に亘りサイクリングロードがある。

先日どんなものか輪行して遡行してみた。
スタートの銚子で、灯台やら近くの屏風ヶ浦などに立ち寄ってからしばらく県道を走り、美しいプロポーションの利根かもめ大橋を過ぎてからようやく堤防上のサイクリングロードが始まる。

20101016銚子灯台s-.jpg  20101016屏風ヶ浦s-.jpg  20101016かもめ大橋s-.jpg

20101016サイクリングロード起点s-.jpg


全く人気の無いサイクリングロードは、爽快といえば爽快、単調といえば単調で、街道の一里塚と同じで見ものは橋だけという事になる。
しかし、いつも混みあって人を避けるのに苦労する多摩川などに比べれば天国だ。

思いのほか陽も短く、下総国一宮の由緒正しい香取神宮にも詣でたので時間をとられ、佐原までしか遡れなかったのはちょっと残念。

20101016香取神宮s-.jpg  20101016佐原s-.jpg


しかし、昨年も訪れた佐原は、歩く巨人の伊能忠敬の故郷なので言い訳は立とう。

ここから渋川まで行くか、しかもサイクリングロードは右岸と左岸にあるので往復400km。
どうするかは思案中。
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2010年09月24日

オノデラユキ 写真の迷宮(ラビリンス)へ

大分前に終了したが、9シリーズ60点の展覧会。

夫々のシリーズに夫々のテーマがあり、写真ではなくてそのテーマ自体を解説する事にも力が割かれている。
写真作品は概念操作の手段として扱われており、写真自体の表現としては単独では自立していない。

勿論、作家の数だけ手法があり、鑑賞者の数だけ、色々な鑑賞方法があるので、「オルフェウスの下方」の様に失踪者のいたホテルから、地球の反対側に突き抜けるのも良い。
「Roma-Roma」のように、二つの同じ名前の都市をステレオカメラで撮影して併置させ、一方はモノクロにルーペを使って手彩色という説明を聞いて納得するのも良い。

手法自体がテーマになることはそれも一つの手法だろうが、一度概念を咀嚼するという行為が必要なものは韜晦的だが、概ね作品は詰らない。

小説の劇中劇と同じで、彼女の語る事の半分はそれ自体がフィクションだろうが、それを信じてみるのも裏の裏を読んでみるのも一つの鑑賞法だろう。

大画面の「12SPEED」の鏡の仕掛けは、陳腐で空回り。
「トランスヴェスト」のフォトモンタージュのように、写真を写真で撮るという事も、色使いを除いてはかなり使い古された手法に思われる。
「アニューラ・エクリプス」のシルクスクリーンを使うのも必然性は無く、表現の新しさだけを求めて隘路に迷い込んでいる。

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展覧会のタイトルの「ラビリンス」は、写真の迷宮でなくて、彼女自身が入り込んでしまった表現の迷宮と得心がいった。

漆黒の闇に浮かぶほのかな灯りの「窓の外を見よ」だけは、余分な説明が不要で評価出来る。

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