2010年01月16日

安房の国、羅漢と仏と水仙と

安房の鋸山にある日本寺は、千五百羅漢で有名で、中々機会が無かったが、近くの水仙見物も兼ねて小春日和に繰り出した。

鋸山山頂からは、対岸の三浦半島が指呼の間。
東京湾口の一番狭まった所を、行き交う船も春めいている。

20100116東京湾s-.jpg

日本寺はいわくありげな寺だ。
聖武天皇の勅詔を受けて、行基が1300年前に開いた関東では最古の勅願所だが、何故国号の日本という名前を与えたのか。

当初法相宗に属し次いで天台、真言宗を経て曹洞宗と宗派も変転、円仁も入寺した。
世界救世教の岡田教祖が境内の十州一覧台で天啓を受けたとされ、聖跡と定めその碑が設立されている。
そのため、日本で二番目に長いという参道の階段は、世界救世教の寄進によるという、立派な御影石が敷き詰められている。

バーミヤンもかくやと思われる、採石場の跡に刻まれた百尺観音。
大戦の犠牲者の供養と交通犠牲者供養のためというが、誰が発願したものか。

20100116百尺観音s-.jpg


千五百羅漢は廃仏毀釈の折にかなり毀損されたが、それだけが原因ではないともいう。
いずれにせよ、江戸時代に二十一年間かけて作られた羅漢達は、今もその味わい深い豊かな表情を見せ続けている。
百体観音もたおやかだ。

20100116羅漢1s-.jpg  20100116羅漢2s-.jpg  20100116百体観音s-.jpg


昭和44年再興された日本一大きいという大仏は、かなりいかつい感がする。

20100116大仏s-.jpg


本堂は昭和14年の失火で焼失し跡形も無く、ようやく新本堂の敷地の整備が始まっていた。
行基椎の前の早い梅の花を見て、疑問符山積みの乾坤山日本寺をあとにする。

20100116梅s-.jpg


足を伸ばした江月の水仙ロードは、こちらは負けずと早咲きの桜が咲いている。
江戸の早春も彩ったという水仙は、まだまだ盛で陽だまりの中ほのかな香りを運んでいた。

春は直ぐそこだ。

20100116水仙ロード桜s-.jpg  20100116水仙ロードs-.jpg  20100116水仙ロード2s-.jpg  
posted by 遊戯人 at 23:00| Comment(0) | TrackBack(0) | | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年12月03日

平山郁夫逝く

平山郁夫が画家としては、若く79歳で亡くなった。

昨年甲斐小泉のシルクロード美術館で、薬師寺大唐西域壁画の大下図を見たことが鮮明に甦った。
玄奘三蔵の求法の旅を描き、1980年から開始し2000年に薬師寺に奉納した。
玄奘三蔵の旅は17年なのでそれを越える。

シルクロード美術館へは、韮崎の王仁桜を愛でた足で訪れ、大下図の格闘するような硬質で且繊細な線に圧倒された。

20080405シルクロード美術館s-.jpg  20080405王仁桜(平山郁夫)s-.jpg

晩年の作品は、精神性を失っていたが、文化的側面ではまだまだ活躍してもらいたかった人物だ。

大唐西域壁画は東の「開けゆく長安大雁塔」から始まり、西の「ナーランダの月」で終わる。

平山郁夫大雁塔s-.jpg  平山郁夫ナーランダの月-.jpg  20091108大雁塔1s-.JPG

最近訪れた大雁塔の記憶も絵と表裏一体となり、平山郁夫の記憶は燦爛と咲き誇る王仁桜の樹の下に眠りにつく。
posted by 遊戯人 at 16:08| Comment(0) | TrackBack(1) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年11月25日

平林寺紅葉狩り

武蔵野の名刹平林寺。
紅葉の名所で、1万5千坪の境内林はよく武蔵野の風情を残し、国の天然記念物。

燃える色、透ける光、潤う彩り、を求めて雨上がりの絶好の日和に繰り出した。

平林寺紅葉1s-.jpg  平林寺紅葉3s-.jpg  平林寺紅葉2s-.jpg  

想いに違わず、紅葉たちは更科姫のように絢爛豪華、はたまた土の褥に密やかに、この日の為に、燃えて散る。

平林寺紅葉5s-.jpg


翌日26日は、ここ平林寺で両陛下が紅葉狩りをされたことを知る。
さもありなん。

 うらを見せ おもてを見せて 散るもみじ

平林寺紅葉4s-.jpg  平林寺紅葉6s-.jpg
タグ:平林寺 紅葉
posted by 遊戯人 at 23:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 見る | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年11月18日

隈研吾の「Studies in Organic」展

ギャラリー間の隈研吾の「Studies in Organic」展。

小さいものでは結構上手い素材の使い方をしていた隈研吾だが、ルーバーと孔から抜け切れない。

何を思ったか、最近は「有機的」、「有機体」が売り言葉らしい。
建築で有機的というとすぐにライトや村野藤吾、更には伊東豊雄などを思い浮かべるが、隈研吾の有機体とはどうだろう。

曰く、「抽象的なものから抜け出して、有機的なものへと向かいたいと考えている。有機的なものは、単なる自然とも自然素材とも違う。有機体は生命体に固有の「生成」のダイナミズムを有していなければならない。・・・」

しかし、彼の空間は外装で期待するものとは裏腹に、全く逆に無機的なものを感じさせる。
模型を見る限り彼の行っている有機的は、単に分節化、パターン化された幾何学的なものに集合に過ぎない。そしてあくまで全く単純な直線で構成された単位の組み合わせだ。

ギャラリーにはグラナダ・パフォーミングアーツ・センターやブザンソン芸術文化センターの模型が展示されている。
これら巨大建築の内部空間はどうなるか、興味がわくところだ。

グラナダ.jpg  プザンソン.jpg
 
模型の中では唯一、「梼原まちの家」が面白くなりそうだった。

一昔前は共生という言葉が流行し、猫も杓子も共生だったが、最近はやや手垢にまみれたのか、見捨てられつつある。
負ける建築から、勝つ建築になりつつある隈研吾も、M2から様々変わってきたので、「有機的」をキーワードに変わるのは結構なことだろう。
軽い言葉は変転し、人も機を見て敏に変転する。
これからも様々に変節しそうな隈研吾だ。


ギャラリー間は以前は写真撮影可能だったのだが、入り口に撮影禁止の標識が貼られていた。
という事は、恒常的に禁止になったわけで、森ミュージアムや世界の流れとは全く逆行している。受付の係りの方に問うと、撮影を嫌う建築家が増えているのでと言う答えで、要領を得ない。果たしてそうなのか?
安藤忠雄展以来ではないのか。残念なことだった。
posted by 遊戯人 at 23:00| Comment(2) | TrackBack(0) | 観る | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年11月10日

北京雪天

今年は北京は22年ぶりの早い雪が11月1日に降り、その余波でこの日も夜間に雪が降る。

■頤和園
北京の中心街から20km程度の距離にある頤和園は、降り止んだ雪の中、薄墨を流したような靄の中で待っていた。

20091110頤和園1.JPG  20091110頤和園2s-.jpg  


乾隆帝がその母親の誕生日を祝うために築かせ、その後破壊されたが西太后がこよなく愛し、軍費を流用してまで再建した頤和園は、中国に現存する最高、最大規模の皇宮庭園。

広大な人工の昆明湖、それを掘った土で作った万寿山。730mに及びぶ8000幅もの絵が描かれた西太后のための長廊。
これらを何事もなく作り上げてしまう中国の権力者の欲望は、想像の彼方にある。

20091110頤和園3s-.JPG  20091110長廊s-.jpg

皇帝の執政の為の仁寿殿内の玉座の後ろには、226の書体で「寿」の字が書かれている。
仁寿殿の名称は、論語の「知者は楽、仁者は寿」から由来している。どちらも難しそうだ。

西太后が暮らした楽寿堂の前には銅製の花鹿、仙鶴、大瓶が並んでいた。
これは「六合太平(=天下泰平:六合は天下・宇宙・上下・東西南北の六つの空間)」の漢字の発音にちなんで置かれているものとか(鹿鶴大瓶=六合太平)。
謎掛けのような語呂合わせも極まるが、中国三大悪女の一人の西太后が設けたものかどうか。

20091110仁寿殿s-.jpg  20091110楽寿堂s-.jpg

中国の宇宙観が散りばめられ、あらゆる所に謂れがあり、殆ど個人の為だけに作られた桃源郷のような景観と施設。
しかし、頤和園の「仁者は寿(ながし)」と願った光緒帝は34歳で西太后に毒殺された。

六合太平と願ったのは、果たして西太后なのかどうかも、雪の頤和園は何も語らない。


■八達嶺長城
始皇帝が作った事が始まりの万里の長城は、その後総延長が8000kmを越え、天安門広場と同じに、中国のシンボルとして様々な画像で流される。

20091110万里の長城1s-.jpg  20091110万里の長城3s-.jpg  20091110万里の長城2s-.jpg

北の蛮族の匈奴、蒙古等への恐怖で作られ、北に向けて銃眼を持つ長城は、工事で困苦のうちに死んだ膨大な人々が城壁に生き埋めにされた。

明の時代に強化されたが、その長城は明の内紛に乗じて女真族の支族である満州族に、易々と打ち破られる。
どの時代でも、鉄壁の守りはありえる筈もなく、綻びる原因は治世者と政治の紛争だ。

嶺を越え、谷を越え、蛇がうねる様なその姿は思いのほかに優美にも見えたが、歴史の重く無残な記憶がその下に埋もれている。

オバマ大統領も18日に登り、月並みだが「万里の長城は非常に雄大だ、中国の悠久な歴史を偲ぶことができる」と語ったという。

悠久の歴史は、万里の長城においては、戦乱と人々の苦難の歴史なのだ。
posted by 遊戯人 at 23:00| Comment(0) | TrackBack(1) | | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年11月09日

北京冬天

■天壇
明の永楽帝が建立した天壇は、天円地方の中国の宇宙観に従って配置されている。

天子が天帝と交信を行う場が壇で、北京には九壇があったと言われ、特に天地日月の壇が大きく、天壇は勿論そのうちで最大のものだ。
天壇の祈年殿で、皇帝は正月に五穀豊穣を祈り、祈りの時は紫禁城から行幸する。
足を地に接して歩くことは地霊に対する礼儀であり、重要な儀式の式場には天子といえども徒歩で向った。

そのような、天壇の祈年殿古建築群は2006年に修復され、色鮮やかに蘇っている。
天壇は瑠璃の甍、翡翠の甍。

20091109天壇s-.jpg  20091109天壇内部s-.jpg  20091109天壇緑瓦s-.jpg

昔の神域も、何の咎めもなく見れるのは、やはり良い時代なのだ。

■天安門広場
この広場は、20年前の1989年数百人が虐殺された天安門事件の現地だ。
今は今年10月1日の建国60年の国慶節の時に設置された巨大なディスプレーと、中国の56の民族を表すという民族団結柱なるポールに囲まれている。

広場は、寒さにもかかわらず中国人の観光客で賑わっていたが、そこに入る為には、手荷物のX線検査を受けねばらない。
自由であるはずの広場に、騒乱の恐れを抱き続ける権力の指向はどの国も変わらない。

20091109天安門広場1s-.jpg  20091109天安門広場2s-.jpg  20091109天安門広場3s-.jpg

百万人が集結できるという広場を、天安門の高みから眺めると何時もそこに立つ人が求め続ける権力の魔物が乗り移るようだ。

■紫禁城
紫は紫微垣の紫。
宇宙の中心の北極星を含む星座で、皇帝の絶対権力を象徴している。
禁は庶民が足を踏み入れることのできない「禁地」。

名称一つにも、皇居という即物的な日本の名称とはかなり違う中華思想。
その紫禁城は天安門を北に抜けると、今は故宮博物院と呼ばれ巨大な城壁の中に豪壮かつ絢爛と存在する。

明清両王朝を通じて24人の皇帝が居住したその広壮な敷地には、青白石の基壇の上に紅い壁、黄釉瓦の甍を持った夥しい建築群が立ち並ぶ。

20091109牛門s-.jpg  20091109太和殿s-.jpg  20091109中和殿s-.jpg 


一本の樹もない紫禁城は、黄金の甍の波だ。

20091109s紫禁城甍s-.jpg  20091109玉座s-.jpg

永楽帝から溥儀まで、中国の皇帝は冷たく且熱い、抽象そのものの石だけの広大な庭を日夜眼前にして、何を思い続けたのか。
今も残る玉座は、何も語らないが、清の最盛期を作り出した乾隆帝の書いた「皇建有極」は治世者の韜晦さを顕してるようだった。


お約束の京劇は心地よさげに見得を切り、人影もまばらな目抜き通りの王府井もそろそろ夜の帳を下ろす頃。

20091109京劇s-.jpg  20091109王府井s-.jpg
posted by 遊戯人 at 23:00| Comment(0) | TrackBack(0) | | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年11月08日

長安覧古

シルクロードの起点の長安は、今は西安と名前を変えているが、4000年を越える歴史を持つ中国を訪れるには、秦、漢、随、唐と都であり続けたここほど相応しい場所はない。

秦の始皇帝から始まり、武帝、太宗と則天武后、玄奘三蔵、玄宗と楊貴妃、李白、杜甫、白居易、阿倍仲麻呂、空海、円仁。
皆、長安で見た夢は様々だ。


兵馬俑では2200年の時を経て、土に戻る眠りから覚まされた兵士達が今なお始皇帝を守り続けている。

IMG_2220s-.jpg  IMG_2212s-.jpg  IMG_2249s-.jpg

すぐ傍の始皇帝稜は地下宮殿が確認されているにも拘らず、発掘作業が行われていないのは文化遺産への配慮なのか、技術的なものなのか。
そうではなくて、歴史への畏怖だろう。


玄宗と楊貴妃の避寒の地、華清池は李白の長恨歌にも詠われた。
 春寒賜浴華清池
 温泉水滑洗凝脂

楚々としない豊満な楊貴妃像が、意外な驚きだ。

20091108華清池s-.jpg  20091108楊貴妃像s-.jpg

中国の皇帝は書を偏愛したものは多いが、毛沢東の筆になる長恨歌が、掲げられている。
毛沢東は狂草の懐素をこよなく好み、日夜修練したという。
見事な筆捌きだ。

20091108毛沢東書s-.jpg


玄奘三蔵の17年間、3万キロの求法の旅で持ち帰った膨大な教典を収める為に建てられた、慈恩寺にある大雁塔は昔も今も長安を見守っていた。
時間がなくて、大雁塔入り口にあるチョ遂良の「大唐三蔵聖教序」「大唐三蔵聖教序記」の石碑を見逃したのは返す返すも惜しまれる。

IMG_2301s-.jpg  IMG_2309s-.jpg

長安の象徴の鐘樓のライトアップの頃となり、季節は違うが李白も詠う胡姫の舞で夜が更ける。

 落花踏盡遊何處
 笑入胡姫酒肆中

20091107鐘樓s-.jpg  20091108唐歌舞2s-.jpg  20091108唐歌舞1s-.jpg
posted by 遊戯人 at 23:00| Comment(0) | TrackBack(0) | | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年10月24日

境川ポタリング

横浜の瀬谷のあたりから、海軍通りを抜けて境川沿いに江の島へ出るコースの、ポタリングに出かけてみた。

一直線の海軍道路は、昔の海軍資材置き場へ通じる鉄道跡で、桜の頃は眼を楽しませそうだ。

20091024海軍道路s-.jpg


境川沿いにはサイクリングロードが整備されていて、のんびりとした田園風景が楽しめる。
この川沿いには、鎌倉街道上道もすぐ傍を通っていて、以前歩いた見覚えのある景色を懐かしく眺めながら。

20091024稲掛s-.jpg  20091024境川CRs-.jpg  20091024境川s-.jpg


多摩川のサイクリングコースは、歩く人、ジョッギングをする人、サイクリングをする人で大混雑で事故も多発しているが、境川は人気も殆どなく神経を使わずに楽しめる。

残念ながら早めの雨で、藤沢で打ち止めにしたが、勿論藤沢は東海道の宿場町でこちらも東海道を歩いた記憶が甦る。

20091024藤沢橋s-.jpg


次は鎌倉に繋げて、こんな所にあるとは知らなかった鎌倉の棟方板画館も訪ねつつ、これからの紅葉狩を兼ねて走るのも楽しそうだ
posted by 遊戯人 at 23:00| Comment(0) | TrackBack(0) | アウトドア | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年10月06日

杉本博司の「Lightning Field」

杉本博司も写真界ではすっかり大御所になって、今年は世界文化賞を絵画の部門で受賞。
その杉本の新作の「Lightning Field」展をギャラリー小柳で見る。

撮影と言う行為ではなく、高電圧の放電現象を意表を付いて直接フィルムに焼き付け、そこに一見シナプスか植物のようにも見まがう形態が出現する。

20091006ギャラリー小柳s-.jpg  20091006lightningfield.jpg


写真の裏に秘められたプロセスは、スリリングで面白いが、全く偶然性に委ねられた単に現象を可視化する行為は、芸術と言うよりは殆ど科学の範疇だ。
しかし、既に神話化しつつある彼の作品は、熱狂的なファンが多く、高額な金額で多くのものが売約済みとか。
魅力的且韜晦的な彼の話術に包められる人は、ますます増えているようだった。

今月末には杉本自身が庭と内装を設計したというIZU PHOTO MUSEUMがオープンし、「杉本博司―光の自然」展が開催される。
そこでは、Lightning Fieldの成果の一つを屏風仕立てにした六曲一双の「放電日月山水図」が展示されるという。
自身が手がけた空間で、自信の作を展示する訳で、見に行かない訳にはいかない。

世界文化賞発表の記者会見では何故か中曽根元首相の隣に座り、少し脂の抜けてきた中曽根に比して、杉本は益々妖怪めいて見えてきた。

世界文化賞s-.jpg
posted by 遊戯人 at 23:00| Comment(0) | TrackBack(1) | 観る | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

ソクーロフのボヴァリー夫人

20年ぶりに公開されたという、ソクーロフの「ボヴァリー夫人」。

2010年のフローベル生誕130年初年に先駆けて、ソクーロフが20年前のソビエト混乱の時期の作品をディレクターズカットで送り出した。

前評判は上々だが、実物はいささか期待外れだった。

ボヴァリー夫人2.jpg  ボヴァリー夫人1s-.jpg  ボヴァリー夫人3.jpg


全編を通底する、ストーリーを暗示する蝿の羽音、意図的な荒れた画面、冒頭の即物的なセックスシーン、極端なクローズアップによるスケール感を失わせる巨大な画像、暴力的な音の効果。
など、ディテールで見れば印象的なものは多い。
しかし、リーフレットにある「幸せの行方」と言うような言葉で括るような世界にはソクーロフは全く向いていないように思われる。

ソクーロフ自身は「私は今も世界に数多くいるエマのためにこの映画をつくった」と言っている。
20年前の若描きなら納得だが、20年過ぎた今、同じ言葉を吐き出すのはかなり意図的な鈍感さだ。

エマを演じる素人だったセシル・ゼルヴダキのキャスティングは、美醜よりも怪女優という方が相応しい。

それでもソクーロフ好きは数多く、上映館のシアター・イメージフォーラムは満員だった。
posted by 遊戯人 at 23:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 観る | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
×

この広告は1年以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。